こんにちは、かえると申します。かえるが好きなので、この名前を名乗っています。ここでは、私がどのように英語と向き合っているか、また、子どもがどのように英語を習得していっているかをご紹介します。
10代
中学生までは、勉強ができる方でした。海外に興味があり、小学6年生で韓国に1週間ホームステイするなど、当時、周りと比べて海外経験は多めにあった方だと思います。
小学4年生から中学3年生まで、週1でECC kidsに通わせてもらっていました。結論から言うと、あまり効果を感じていません。フォニックスをやっていた記憶があるのですが、身につきませんでした。今になって、非常にもったいなく思っています。
中学英語までは、真面目にやっていた甲斐があり、苦手意識はありません。しかしながら、高校になって、大きな挫折を味わいます。
進学先の公立進学校にて、周りとのレベルの差に圧倒され、勉強の意欲がなくなるのです。高校3年間は、ほとんど勉強をしていません。
そのまま進学した私立の大学で、落ち込む日々を送っていました。
転機は、なんとなく始めた塾講師のアルバイトです。私は人に教えるのが好きで、この仕事に向いていました。だんだんとやる気が戻ってきて、机に向かうようになります。
私は、その時に置かれていた環境に絶望していたので、海外留学を志すようになります。幸い、通っていた大学で、交換留学のプログラムがありました。休学なしで、半年間の留学ができる内容です。
留学の権利を勝ち取るため、ほとんど3年ぶりの勉強をリスタートしました。お金がなかったので、大学の図書館にこもり、置かれている単語帳をイチから取り組みました。
まだ机に向かうと涙が出てくるくらいトラウマだったので、とにかく単語をノートに書き写すことから始めました。
その時の1番最初に書いた単語が、「interesting」だったのを、今でも鮮明に覚えています。
やっていくうちに、だんだん机に向かう時間を長くできました。最終的に、留学に必要なtoefl itp テストのスコアを取ることに成功します。
20代
私が20歳を迎えたのは、アメリカでした。半年の留学中、とにかく英語を勉強した私ですが、そこで出会った他の留学生たちに心を動かされます。
前向きでやる気に溢れ、お金を稼ぐことに意欲的。そんな姿を見て私も、お金に関わる仕事がしたいと思うようになります。
帰国後、がむしゃらに資格を取得して就活を頑張り、内定を得た第一希望の企業は、証券会社でした。
帰国後約半年間で得た就活用の資格は、自動車免許、MOS、簿記2級、TOEIC785です。
証券会社では、英語と無縁の会社員生活を送ります。営業員として、支店で頑張る日が続きました。
結婚を経て、やがて子どもが欲しいと思うようになります。しかしながら、これまでの生活で心と身体を酷使していた関係で、子どもを授かりにくい身体になっていたのです。
不妊治療がうまくいかず1年が過ぎたころ、退職を決意します。驚くことに、退職してすぐの周期で、妊娠することに成功しました。
退職後は、フリーランスでwebライターの仕事をすることにしました。もともと文章を書くのが好きだったこと、在宅でもくもく取り組めることから、この仕事に向いていると感じていました。
30代
出産から1年半後に、転機が訪れます。夫の海外駐在です。私は海外に抵抗がないこともあって、即決でついていくことに決めました。
英語ネイティブではないアジアの国でしたが、英語環境は多分にありました。
そこでは、子どもをプリスクールに入れました。クラスは多国籍の生徒で構成され、周りに日本人がいない環境で、子どもなりに頑張ってくれました。
他にも習い事やプレイグループなどで多くの英語に触れてもらったように思います。ちょうどコロナ禍でしたが、様々な経験を積むことに成功しました。
私自身も、英語学習に取り組みました。TOEICで935のスコアを取ったのも、この時期です。また、日本人女性向けに無料英会話教室のようなものも、ボランティアで行っていました。
海外には2年滞在、その後日本に戻ってきました。当時、子どもは3歳。4月、幼稚園の年少クラスに入園しました。プリスクールや英語の習い事は周りになく、地元の私立幼稚園に決めました。
この頃、子どもの英語力維持に頭を悩ませます。日常生活から英語が消え、日本語まみれの日々になるからです。
悩んだ末、DWE(ディズニー英語システム)を契約したり、ORT(オックスフォードリーディングツリー)を購入したりします。幼稚園から帰ったら、ひたすら絵本読み聞かせやDVD視聴を行いました。
日本での生活に慣れてきた頃、子どもの発語が出てきます。それまで日本語や英語の発語がほとんどなく、発達に悩んでいたのですが、やっとそれまでのインプットの成果が現れ始めたのです。
それからは、PD(プレイデート)に積極的に参加するようになります。月に最低1回、多い時には毎週末のように参加していました。
地域でオープンチャットを立ち上げ、PDの主催もするようになりました。子どもは持ち前の明るさでどのPDも楽しんでくれました。
その地域からは1年で引っ越しすることになるのですが、引っ越し先でも、英語のインプットやPDを欠かしませんでした。インプットの中心はYoutubeになり、主催するPDは外国人講師を呼んだものになっています。

